自分を必要としてくれる人がいるだけで・・・
二〇代前半の私は、パニック発作、過呼吸、躁うつ病、統合失調症など、あらゆる精神的な病を抱え、心身ともに限界の状態になっていました。
電車の中で不安神経症などの発作が起きたら吐き気がして座り込んでしまうので、人に迷惑をかけてしまうという恐れから電車に乗れなくなっていました。
そのため、雨の日は、レインコートを着込んで自転車に乗り、都内のカフェのバイト先に向かっていました。
しかし、途中で体調がわるくなったりして、遅刻がちになってしまいます。
すると指導担当の高校生に「さぼらないでちゃんとやってください」と叱られる……。そんな日々でした。
「すみません」と私は頭を下げながら、自分が情けなくて唇を噛み締めていました。
「どうしてこうなっちゃったんだろう」
「こんな人生になんの意味があるんだ」
何度自問したことでしょう。
「このまま、飛び降りたら楽になる」
ビルの屋上で何度も考えました。
「もう、死のう」
そう思った私が最後の最後で思いとどまることができたのは、ある男の子の存在があったからです。
その子の名前はSくん。彼は私のことを「自慢のお兄ちゃん」と呼んでくれました。
私の友人の子供で、障害のある当時一〇代前半の男の子でした。
Sくんの家庭の事情で、休日になるとお母さんが仕事で1日留守になるため、私がSくんと留守番しながら、一緒に過ごすことになったのです。
一緒にご飯を食べて、宿題をして、ゲームをして、Sくんの学校で起こった話を聞いて……。私がバイトで疲れてつい寝てしまうことがあっても、Sくんはお母さんが帰ってくるまで決して寝ませんでした。
Sくんのお母さんは家に帰ってくるなりSくんに抱きつきます。Sくんも満面の笑みで「お帰りなさい」と言います。そして、二人は私に向かって言ってくれます。
「輝ちゃん、ありがとう!」「お兄ちゃん、ありがとう!」。
Sくんは「僕は人のお世話にならないと生きられない人間なんです」と言います。
私が抱いて車椅子に乗せてあげると「すみません!」。
私がご飯を食べさせると「ありがとうございます!」。
私が何かお願いをすると「わかりました!」と素直に言うのです。
Sくんは、足が動かない、指も少ししか動かせないということを自分でちゃんと受け入れていました。どんなときでも、どんなことがあっても、Sくんは感謝の気持ちをいっぱい持って人と接していました。
「お願いします、お願いします」と人に頼りながら精一杯生きていこうとしていました。
「自分は心も体もボロボロで、生きている価値なんてない」とずっと思っていたけれど、Sくん親子との関わりで、私の心は少しずつ変化していきました。
手や足が不自由なSくんの手助けをすることで、自分が誰かの役に立てているということに喜びをが私に力をくれました。
「私は生きていいのかもしれない」――そう思えるようになってきたのです。
Sくんは、私のことをいつも「お兄ちゃん」と呼んでくれました。Sくんの学校に行ったときには「あ、自慢のお兄ちゃんが来た!」と、周りの友達に自慢げに話してくれました。
そしてようやく受け止めることができるようになりました。
「目の前にいるこの子は、私のことを大事な存在だと思ってくれている」ということを。
私は心理カウンセラーとしてこれまでに一万名以上の方の臨床をしてきましたが、「自分になんて価値がない」「私は価値がない人間なんだ」という人にたくさん出会いました。私自身もSくんに出会うまでずっとそう思っていました。
でも、本当に生きる価値がない人なんて、ひとりもいないんです。
私が死んだら、きっとSくんは悲しむ……。そう思ったときに、「Sくんにとって、私は大事な存在なんだ」ということを受け入れることができました。
Sくんと過ごしたことは、のちに私がカウンセラーとして人と接することにつながっていきます。
大事なことに気づかせてくれたSくん、ありがとう。
Sくんは今でも大切な大切な、私の友達です。
誰かの役に立てている喜びが、
「生きていいのかもしれない」
と思わせてくれました。
『大丈夫。そのつらい日々も光になる。』
(PHP研究所)
第2章 自分を必要としてくれた男の子
P78〜P83 より
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